はじめまして、記事を書いてるNaoTaroと申します
今年で40歳になる中年です。
40歳なんていい歳だと思っていたけれど高齢化社会の昨今ではまだまだ子供扱いされますね!
私自身も中身は子供のまんまだなあなんて思っているし、時には中二と変わらないような思考してる時もありますw男なんていつまでも子供だ、なんて言われるのがよく分かる。頭の中は永遠に中二なのだろう。
最近脂肪が乗ってきました。いいおっさんになると乗ってくると比喩される脂ではなく、脂身の方。脂が乗ってくる40代じゃんなんて言われても揶揄にしか聞こえない。
現在177cm 76kg 今年中に66kgまで絞ります。腹筋ローラーのみで。
- 出身地 千葉県習志野産まれの習志野育ち
- 家族 私、妻、娘の3人家族(6月に息子が産まれる予定)
- 血液型 A型
- 趣味 DIY・アウトドア全般・なにかを作ること
- 特技 肉をミディアムレアで焼く
書いてる奴がどんな奴なのかを少しでも知ってもらうために経歴を書いておきます。
私の経歴
幼少時代
1978年6月 千葉県習志野は津田沼という街で二人兄弟の次男として産まれる。
巨大団地地帯で過ごしたもんだから子供の数が異様に多かった。
母親曰く、幼少時代は蟻を見ていても泣いていたらしい。
しかし甘い物が大好きで飴がなくなると砂糖を舐めていたことから、一族からついたあだ名が蟻。
少年時代
そんなか弱々しかったボクも少年時代は絵に描いたような元気いっぱいの悪ガキ少年になる。
地元の野球チームに所属し、平日は駄菓子屋に行ってファミコン持ってる奴ん家に行く。
当時は各家庭ごとにファミコンの規制がありましたよね?w規制がかかると外へ出て野球や虫取りをする。夏は汚れた東京湾で泳ぐ。
ちなみに我が家のファミコンをしてもいいのは水曜日に1時間だけ。週に1時間じゃドラクエなんて全然進まなかったのでクリア済みの復活の呪文を仲間から聞き出しては竜王を倒して光悦に浸るという謎い遊び方をしていた。
もうひとつ我が家にはドラクエルールというものが存在した。兄貴より先に進めてはいけない、LVも高くしてはいけないという軍隊よろしく完全な縦社会のルールが存在した。
高学年からは少年野球に加えミニバスもやり始める。
中坊時代
野球部にしようかバスケ部にしようか悩む。
遊び人という職業があれば間違いなく選択したのだが中学の部活で強いて言う遊び人部といえば帰宅部しかない。当時の帰宅部員は皆無と言っていいほど全員がなんらかの部活に所属していたので帰宅部=遊びという図式にはならなそうだし、そもそもモテなそうなので結局バスケ部にジョブチェンジする。
部活引退後は今こそはとばかりに遊び人に転職しようとするも今度は受験という課題が立ち塞がり、それならば賢者でも目指してやろうかなと本格的に勉学に勤しみ始める。も、第一志望の公立に落ち、滑り止めで受かった私立に進むという親泣かせする。
高校時代
とりあえずバスケ部に入るもバスケ以外に楽しさを見出してしまったため退部する。
当時の高校生の楽しさといえばバイクとサーフィンとポケベルである。
免許を取る→金が要る→バイクを買う→金が要る→改造する→金が要る→バイトに勤しむ→その合間に海にも行く→高校なんてどうでもよくなってくるw
という当時の高校生なら割とありがちなパターンに見事はまっていく。
いよいよ退学の危機を迎えたときに賢いボクは「親の金を垂れ流すように無駄にした挙句退学なんて格好がつかねえ」と悔い改め、猛勉強して大学を目指し、そしてまた親の金を垂れ流し無駄にするのだがまだこの時は知る由もないのである。
愚かにもほどがある。
大学時代
普通免許を取るまでは高校の頃から乗っていたスティードで通学していたが、普通免許を取ってからは愚かさに更なる磨きをかけていく。
タウンカーで大学に通うというバカぷりを発揮し始めるのだw
当然のようにいじりはじめ、また例の図式に堕ちてゆくのであった。バイトバイトの毎日。無論単位が足りなくなり留年してしまう。
このまま親のスネをかじっているわけにはいかねえ。と退学するつもりで在学中に就職活動をはじめ、たまたま中途採用の募集していた自動車ディーラーに営業マンとして就職することになる。
社会人 前編
社会人生活が始まり、最初の三ヶ月間は本社での研修や販売以外の業務を学んだり保険の資格を取ったりと営業所に配属される前の下準備をする。料理をする前の下処理である。中にはおもしろおかしく不安を煽ってくる老外もいた。
とはいえ、意外にも卒なくこなし、いざ営業所に配属となるのだが問題が浮上する。
営業軍が自社の車でなくてはいけないというのだ。当たり前だ。
当時はタウンカーではなく左ハンドルのアコードクーペというホンダオブアメリカの車を乗り回していた。無論オールペンして油圧を組んだこてこてのローライダー仕様だ。そんなDQNよろしくのような車で営業に訪れた日にゃ売れる物も売れるはずがない。
仮にHONDAのディーラーであっても許されなかったはずだ。
そもそも営業車なんて会社の社有車を使うと思っていたのだが、社有車が使えるのは課長以上の役職を持つ社員だけらしい。
自家用を使いなさいといわれればサラリーマンは従うしかない。
下取りした車ならタダでいいよと言われるも、新車を買えば自分の成績にもなるという。ここで新車を買ってしまったのだが、ここでこの新車を買ったことが私の人生のターニングポイントになるのである。
(そういえばこの頃魔法のiランドだったかそんな名前の携帯向けHPサイトでBREAKIN’のサイト運営してパケ死した)
社会人 後編
家賃を払い、光熱費を払い、新車のローンなど数々のローンを払うと当然家計は火の車になる。社会人なのに貧乏学生のようにガスを止められたり目も当てられないような生活に陥り、とうとうバイトするしかねえなという考えが頭を過ぎる。
会社にばれたくないので誰にも会わないですみそうな新聞配達を始めるのだが、ディーラーをやりながら昼間も新聞屋の仕事を手伝うような二足のわらじ生活になる。
おかげ金を使う時間もないぐらい多忙になり生活の水準は取り戻すものの、体力的にきついし、これはこれでどっちつかずのいい加減な結末にしかならないような気がしたので思い切って新聞屋の社員にジョブチェンジする。
職場が浦安ということと、ディーラー時代にオリエンタルランドの社員が数名顧客にいたということで口を利いてもらいまたもや副業を始めるのである。そう、あのネズミがいるところで。
ところが、社長が君津・木更津というところに支店を出すことになり店長として移住することになる。
この頃は酒三昧、釣り三昧と遊びに遊んでいたっけ。
その2年後に本社から独立を打診されたのを機に29歳の時に新聞販売店を引き継ぎ独立する。
そして10年後の現在に至っている。
というわけで、千葉に固執しているわけじゃないが千葉から出たことがない。
現在は住みやすい街ランキング6年連続ナンバー1という印西市に住んでいるがどこらへんがナンバー1になるのかよく分かっていない。
と、少し長めにダラダラと書いてしまいましたがどこにでもよくいる中年とわかってもらえたらなと思います!w
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拙く見苦しい文章ではありますがお付き合いいただけたら幸いです。